雑)血液型占い

多分日本でもっともよく使われている占い…なのではないでしょうか?
で、私は声を大にして言いたい。「やめれ」。
のっけから大段上極まる否定で恐縮ですが。思うに、どうみてもあれを占いとして −特にプロが扱うものとしての占いとして− 捉えることが出来ません。

元々血液型占いは原来復が、ドイツに留学、デュンゲルン博士に出合ってついでに血液型性格分析に出会ったようです。
その後小林榮と一緒に「血液型ノ類属的構造ニ就テ」という論文を医事新聞に発表。まぁ「血液型と性格は関連があるかもしれないなぁまだよくわかんないけど」程度の曖昧模糊としたものだったようですが。…と、ここまではまぁ「学術的興味」ラインから納得は出来ます。「人間の性格は何によって規定されているのか」の1要素仮定としての「遺伝子」とかそういったラインなので。
問題はその後です。
東京女子高等師範学校(現お茶の水女子大学)の心理学者、古川竹二教授が書いた「血液型による氣質の研究」(1927年ですからかなり古いですな)を含む一連の著書が発端となり、ここで血液型と性格のカテゴライズがある程度明示されてきます。
一応、アンケートを用いて調査をしていたのですがさほど芳しい結果ではなかったようで(まぁ当時そもそも統計的検定や性格検査などの手法が未整備だったこともあるのですが、一部によれば「親族11人を見てまず仮説を立ててから調査をした」とかっていうかなり駄目な話もあります)、ここでも一度衰退していきます。
ポイントはここから。古川竹二教授の教え子の弟である(なんか微妙な距離ですが)能見正比古が1971年に「血液型でわかる相性」を出版、これが有名人の血液型リストが掲載されていたなどのことからベストセラーとなり、そのあたりから一気に火がついたようです。

さて。まず一部で言われている「統計学」だの「科学」だの、そっちのほうから否定していきましょう。
まず統計学的に、ですが。現状、統計学で論じれるほどきちんとした調査結果はどこからも数値として出てきておりません。というかそもそも「性格をどうやって調査するか」って部分自体でとても困難な部分があります。
そうですねぇ例えば。「欲望に対してストレートな反応を示す」かどうかをアンケートするのであれば。それはそれぞれの対象に対して「ある欲望が発生したことを外的に認識する」なんらかがあって、その後それに対して「ストレートに反応した事を外的に認識する」なんらかがあって。そういった、いわゆる「第三者による検証が可能な」手法の提示ってモノが不可欠なのですが。
能見正比古らの研究(?)において、そういった情報が、私の知りうる限り一通り欠落しているので、第三者による検証とかってのが困難なのが現状です。
第三者による相互チェックが必要要素の一つである科学において、これは致命的欠落であるといえます。ゆえに、科学的ではないと明言できるわけです。

一方で。古来より、占いというものはきちんとした「神秘学的バックボーン」というものが不可欠です。
で、血液型占いと神秘学的バックボーンとの関連性を見たことが、残念ながらまったくありません。近しいところで………4気質とかそのあたりでしょうか? 血液型のABOと何ゆえに結びつくのかって部分に、なにかどうしようもないほど分厚い壁の存在を感じてしまいますが。
したがってあれは占いでもありません。

…とまぁ。別にあれが「お遊びとしての話題」に用いられる程度であれば特にとやかく言うつもりもないのですが。

昨今よく耳にするのが「性格批判」の類と「相性問題」、ひどいところだと就職を含む問題などです。
「○型の人とは合わない」「○型の人は××という性格である(という決め付け)」などなど。
先天的な要素である占星術ですら「個人の性格のせいぜいが50%程度で、かつそれらはよい出方も悪い出方もあるから決め付けは出来ない」ものです。
それを、たった4つの区分しかないようなもので「性格を否定」されては、否定された側はたまったものではありません。

というわけで。お遊び程度の背景しかない上にお遊びでは収まらない問題が頻発しているあたりが、私が血液型占い(血液型性格診断)を忌み嫌う大きな理由です。
せめて「ちょっとした笑いのネタ」でやめておきませんか?


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